「偏差値が低いから、勉強してもあの学校には入れない…」
「受験勉強がきつすぎて、勉強やめたい…」
ちょっとした挫折を感じたり周りの学生と比べたりして、自信をなくす中高生は多いのではないだろうか。
だが、今回取材した「たかひとさん」はちがう。偏差値35のいわばヤンキー高校から1年間浪人し、猛勉強の末、偏差値65の大阪大学に合格したのだ。失敗だらけの学生時代をくつがえし、本気で勉強すれば必ず成績が上がることを証明してくれた。
決して平凡ではなかった、たかひとさんの受験期の超壮絶エピソードを聞いてみた。
【たかひとさん】
小中学校の時、不登校を経験し、ヤンキー高校に進学する。
偏差値35の状態から、壮絶な受験勉強を経て、偏差値65の大阪大学に合格。
現在は大阪大学に在学しながら「アカデメディア」というYouTubeチャンネルを運営。
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小中不登校、ヤンキー高校から一年間の宅浪で大阪大学に合格しました。過去の自分に言いたいなって思うことを備忘録のように話しています。特に誰かのためにやっているわけではないのですが、ええやんって思ったら役立ててください。
勉強を諦めていた高校時代
■たかひとさんは学生時代に全く勉強できなかったということですが、どのような高校に通っていたのか教えてください。
僕が通っていた高校の偏差値は35~40くらいで、いわばヤンキーのたまり場みたいなところだったんです。1年で退学する人もたくさんいて。
僕は一応、テスト期間中は赤点にならない程度に直前に暗記してました。それ以外のときは、永遠にスプラトゥーンしてましたね(笑)。
■スプラトゥーン、めちゃくちゃ面白いですもんね(笑)。ちなみに、受験勉強を始めた時期を教えてください。
高2のときに、あるきっかけがあって大学受験しようと思ったんです。でも本気になれなくて。参考書を買い揃えたのは、高校3年生の4月です。
■高3から勉強を始めて、現役時代の入試当日はどういう心境でしたか?
受験勉強を始めたといっても、ただ参考書に付箋貼って、マーカー引いてただけなんです。計画や勉強法もわからず、全然勉強をしてないのは分かってたんですよ。でも、それを口に出すのが怖くて、自分は「勉強をやった」とか「頑張ってきた」とか、すごい空虚なことを言ってました。
でもそんな暗示では、自分を安心させてくれなくて…。試験当日、問題を解いているときに暗示したものが全て崩れ落ちて、頭が真っ白になりました。
それで、いざ合格発表のときは、アニメ見ながらスマホでスクロールして、「あーっないな、やっぱりないな」という感じでした。
■そこから就職という選択肢もある中で、なぜ浪人しようと決意したのですか?
今まで、小学校、中学校と不登校で、高校も底辺で、大学も落ちて…となったときに、今頑張れなかったら一生何をしても頑張れないと思ったんです。人生に1回は「自分めっちゃ頑張った」って言えるものが欲しくて。そこで、大学受験のために浪人を決意しました。
「現役のときとは逆のこと」固く決意した浪人生活
■浪人生活をスタートするときに、最初に意識したことを教えてください。
実は、母の脳に腫瘍があったんですね。僕が浪人する年に手術を受けるはずだったんです。でも、僕が浪人するせいで、お金の面とか生活面とかを支えるために1年手術を延期することになって。家族を振り回してることが、すごく申し訳なかったんです。
そこでまず、この1年、地獄を見る覚悟で勉強しようと思いました。現役のときにダメだったことの全部逆をやってみってみようと意識したんです。
■「逆」ですか?
はい。例えば、僕って目が悪いんです。解答用紙が見えなくても、メガネがダサいと思ってたんで頑なにつけなくて。なので、まずはメガネを買いました。
他にも我流の勉強を捨てました。計算方法も言われた通りにする。これも、現役のときにできなかったことなんです。
なので、全て逆!逆!逆!とりあえず「逆!」という風にやっていました。
勉強道具は「スマホ」「紙」「ペン」だけ!成績変化は?
■実際に勉強をスタートさせて、生活はスムーズに切り替えられましたか?
まず、浪人を始めるときにお金を使わないようにしようと決意しました。母の手術を延期させてしまったという罪悪感もあったので。なので、予備校に行かない、参考書は買い足さない、現役のときの教材だけで勉強しました。
他にも、食費を使わないために夜ご飯しか食べない。勉強は、図書館や公民館でする。喉が渇いたら(公民館などの)トイレの手洗い場の水を飲む。空腹とか飢えとかに耐えて、スマホと紙とペンだけで勉強しました。
■想像できないほど過酷な環境ですね…どうしてそこまでして頑張れたか教えてほしいです。
確かにすごくツラかったんですけど、今までツラいと思ったら逃げてきたんです。なので、その「逆」です。ツラいなって思ったときに逃げないことを続けたら、この1年で変われるんじゃないか、むしろ、この1年でしか自分を変えられないんじゃないかと思って追い込みました。
■お金を一切使わずに勉強を続けて、成績は変化しましたか?
実は、浪人時代に模試を受けたのは1回だけなんです。模試を受ける前にすでに勉強してたんで、7月か8月には英語の第5文型もだんだん読めるようになっていて。数学の解法がどんどん思いつくとか、化学の暗記は結構できてるなとか、化学反応式がすぐに出るとか、だいぶ賢くなってる実感はありました。
それで、模試が返ってきたとき、偏差値の平均がなんと60を超えてたんです。自分でもびっくりしました!
一筋縄ではいかないトラブル続きの秋以降
■夏が終わり、模試が返ってきた後の勉強ってどのような感じでしたか?
スムーズに成績が上がると思いきや、勉強以外のトラブルが多くて。まず、秋ごろになると、お金がなさすぎて家賃が払えず自宅を追い出されることになったんです。引っ越し先が線路沿いのボロアパートで、5分ごとに電車の轟音(ごうおん)が家中に響き渡るような。壁も薄いですし。
さらに、前の家のリフォーム代として500万円の不当請求をされて、対抗するために弁護士を立てたせいでお金がどんどんなくなって。すると、母と姉のケンカが増えたんです。
僕は浪人してることと母の手術を延期させてしまったことで負い目があったんで、家にいるのがすごくツラくて。毎日、図書館とか公民館とか、空いてないときはスーパーの休憩コーナーでおばあさんたちに囲まれながら勉強してました。そこも空いてないときは、公園やトイレの中なんかで勉強してたこともありました。
そのときは、ただ勉強することでしか恩返しはできないなと一生懸命でした。
■家族への恩返しですか?
はい。
■その想いでここまで過酷な勉強を…ちなみに、秋以降は一日何時間くらい勉強していたんですか?
センター試験の対策の時期は、1日16時間ほどです。いざ、大阪大学を目指すために赤本(大学・学部別の大学入試過去問題集)を買ったのが、11月上旬くらいでした。その時期ってセンター試験の対策も始まっているじゃないですか。食べてるときもイヤホンで音源を聞いて単語帳を開いて。寝てるとき以外はほとんど勉強してました。
ストレスから「肺気胸」に!受験直前期の勉強
■受験期直前の勉強について教えてもらえますか?
受験直前期、特にセンター試験前は勉強だけじゃなくて運動もちゃんとしなければと思ってたんです。ところが、ランニング中にだんだん肺がズキンって痛み始めたんですね。最初は放っておいたんですけど、身体からピィーピィー鳴ってきたんですよ。息苦しくてこれはヤバいと思って、病院へ行ったんです。
で、レントゲンを撮ったら左の肺が破れて「肺気胸(はいききょう)」と診断されました。どうやらストレス性の肺気胸みたいで、すぐに入院って言われたんです。
センター試験前なんで、すごい動揺ですよね。入院したらしたで鎖骨の下に太い管みたいなのを入れられて、そこから肺に空気を送って膨らませるんです。それによって、上半身を動かすたびに電流が走るような、気絶しそうな痛みがありました。
そんな中でも、僕の頭にはセンター試験しかないので、家族に勉強道具持ってきてもらって病院のベッドの上で痛みに耐えながら勉強してました。
■気絶しそうな痛みに耐えながら…そんな状況でも勉強を頑張れた原動力みたいなものがあれば教えてください。
簡単に言えば意地ですね。今まで、トイレの水を飲んで飢えをしのいだりトイレの中で勉強したり、同年代に音読しながら歩いているところを笑われたり屈辱的な思いをしてきたんです。そこを乗り越えてきたのに、ゴール手前で諦めたら今までの自分にめっちゃ失礼だなって思ったんです。
これは持論なんですけど、そういう努力ってドミノ倒しに似てるんです。ドミノ倒しって、手前の1ピース目、2ピース目、3ピース目だったら、「別に倒してもいいや」って思えるじゃないですか。でも、たくさん積み重ねて列になると、「絶対に倒したらあかん」って注意深くなるし、「ここでやめるわけにはいかん」って思うようになる。
それと同じで、努力って積み重ねていけばいくほど良い意味で逃げられなくなんです。なので、僕にはそこで逃げるという選択肢はなかったです。
運命の入試当日!そして合格発表
■過酷な状況の中センター試験を乗り越えて、入試当日はどんな気持ちでしたか。
正直、何も怖くなかったですね。肺気胸になって左の肺が破れて、実は右の肺も破れかかって死の寸前というか、次行動したら破れるかもしれないという状況だったんです。
そういう、死の際まで体験したときに、参考書を持ってる周りの受験生に負けるのが怖いかと言われたら、怖くないんですよ。むしろ、今まで積み重ねてきたことを考えたら、入試と僕だけという一対一の存在しか見えなくて何も怖くなかったです。
■実際に、入試問題を解き終わったときの手ごたえを教えてください。
現役生のときと明らかに違ったのは、できないところが分かったんです。試験終了の瞬間に自分で、解けた問題と間違えた問題がはっきり分かったんです。現役のときは、何が分からないかすら分からなかったんですが…できないことが鮮明に見えすぎました。
なので、現役のときより「落ちるかも…」とすごいウツな気分でしたね。
■で、合格発表を迎えると。
合格発表のときは、ウツなままでした。「落ちてるかも」「いや、受かってるかも」と思っているうちに、自分の番号が出てきたんです。
そうしたら、今まで小学校、中学校、高校で全部、失敗、失敗、失敗…って失敗しかしてこなかった自分が頭をめぐりました。と同時に、自分って勝者側に立てるんだと初めて実感したんです。
今でもこのときの情景を鮮明に思い出せます。
「じゅくみ~る」ユーザーへのメッセージ
■自分の人生をくつがえすような大きな経験をして、今、ユーザーに向けて伝えたいことってありますか?
ある意味一番凡人だった僕だからこそ思うのは、すごいなって思う人と自分に一線を引かないことです。実際、どこにでもすごい人ってたくさんいるじゃないですか。多分、僕の話を聞いた人も、僕のことがすごい人みたいに見えてると思うんです。
すごいなって思ってる人と自分と一線を引いたら、絶対にすごい人にはなれないと思うんです。
■でも、すごい人と自分って一線引きがちですよね。どう考えたら一線を引かずにいられるとかありますか?
正直、僕もその一線を引いてたひとりなんです。引いてるからこそ、失敗してたんですよ。
なので、浪人のときは、すごい人になれるかどうかの未来や、すごい人じゃなかった過去は考えないようにしました。目の前のことに全力を出して、全部終わった後に振り返ったらすごい人になってるということを考えました。
■たかひとさんの今後の活動を教えてください。
僕は参考書の名前や大学名も偏差値も知らない。大学受験で1回成功したからといって、自分はこうしてきましたとずっと主張するのは自分としてカッコよくないんです。
なので、さらに今の自分には無理だと思えることを乗り越えて、もっとすごい人になりたいんです。今後、勉強や受験という枠にとらわれない活動をしていこうと思います。
※インタビュアー:青木 晃一
インタビューの様子はYouTubeチャンネルにて公開中です!
■さらに詳しく知りたい方はぜひ、ご覧ください。
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